2015年5月10日 復活節第6主日礼拝

聖書  出エジプト記 20章 12 節 

マルコによる福音書 7章8-13節

説教  父と母を敬え

「あなたの父、母を敬え」、10の言葉、十戒の第五の言葉です。最初にこの言葉について昔から重んじられてきていますドイツの教会で作られた信仰問答書にある教えを御紹介したいと思います。ハイデルベルグ信仰問答です。こう書かれています。「神は彼ら、すなわち父と母の手によって、我らを支配することを欲した。」それが父と母の意味だというのであります。神は天の父であられます。父として私たちを養い、関与していて下さる、また正しく指導して下さる、あるいは母のような慈しみ深い手をもって私たちを育んで下さる。父と母とはこのような父なる神の代理として子供たちに臨んでいるというのであります。これは、私たちの父や母のことを思い起こしながら心に留める言葉です。また、私どもも父または母として歩んでいますけれども心を整える言葉でもあります。そして何よりも教会の交わりの中で、その教会に与えられている父・母たちがいることを覚えるわけであります。今日は母の日でありますけれども、このように教えられている十戒の言葉を心に留めて、神様を讃美したいと思います。

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2015年5月3日 復活節第5主日礼拝

聖書箇所   列王記上 19章 8-12 節      マルコによる福音書 6章45-56節

細い、静かな声で

英語で「水の上を歩く、Walk on water」というと、それは比喩、たとえでありまして、不可能なこと、無理だと思われることをするということだそうです。しかし、奇跡物語というのは、ただ不思議なことを主イエスがなさった、神の子であられるから何でもおできになるということではなくて、私たちには思いがけない仕方で、また私たちの思いを超えて恵み深くいって下さるということを伝えています。

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2015年4月26日 復活節第4主日礼拝

聖書箇所    使徒言行録2章40-47節

説教  教会の祈りと伝道

まだ、ペンテコステには少し早いのですが、今日はこの後で教会総会がありますし、また祈りの教会ということを提案させて頂いておりますので、使徒言行録2章を読んで頂きました。最初の教会の様子が伝えられております。心を留めたいと思います。五旬節(ごじゅんせつ)と呼ばれるペンテコステの日であります。主イエスが約束しておられたようにエルサレムに集っていた弟子たちの上に聖霊が下りました。余計なことかも知れませんが、使徒言行録は英語では「Act(アクト)」と言います。弟子たちの行い、働きという意味です。しかし、この書名はもともと掲げられていたものではございませんで、後の時代に名付けられたものであります。

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2015年4月12日 復活節第2主日礼拝

聖書箇所    マルコによる福音書6章30-44節 

 

説教   5つのパンと2匹の魚

今、読んでいただいた聖書の物語は「5000人の給食」あるいは「5000人の供食」と呼ばれています。5つのパンと2匹の魚が主イエスの手によって裂かれ、弟子たちの手に渡され、そして配られた。するとそのわずかなパンと魚が5000人もの人々を養い皆が食べて満ち足りるだけではなくて、残りのものを集めると12のかごがいっぱいになる程であったというのであります。この不思議な物語は、旧約聖書の故事を思い起こさせます。

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2015年3月15日 四旬節第4主日礼拝

聖書箇所    イザヤ書43章 16-28節 

16主はこう言われる。
海の中に道を通し恐るべき水の中に通路を開かれた方
17戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し
彼らを倒して再び立つことを許さず
灯心のように消え去らせた方。
18初めからのことを思い出すな。
昔のことを思いめぐらすな。
19見よ、新しいことをわたしは行う。
今や、それは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか。
わたしは荒れ野に道を敷き
砂漠に大河を流れさせる。
20野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。
荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ
わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。
21わたしはこの民をわたしのために造った。
彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。
22しかし、ヤコブよ、あなたはわたしを呼ばず
イスラエルよ、あなたはわたしを重荷とした。
23あなたは羊をわたしへの焼き尽くす献げ物とせず
いけにえをもってわたしを敬おうとしなかった。
わたしは穀物の献げ物のために
あなたを苦しめたことはない。
乳香のために重荷を負わせたこともない。
24あなたは香水萱をわたしのために買おうと
銀を量ることもせず
いけにえの脂肪をもって
わたしを飽き足らせようともしなかった。
むしろ、あなたの罪のためにわたしを苦しめ
あなたの悪のために、わたしに重荷を負わせた。
25わたし、このわたしは、わたし自身のために
あなたの背きの罪をぬぐい
あなたの罪を思い出さないことにする。
26わたしに思い出させるならば
共に裁きに臨まなければならない。
申し立てて、自分の正しさを立証してみよ。
27あなたの始祖は罪を犯し
あなたを導く者らもわたしに背いた。
28それゆえ、わたしは聖所の司らを汚し
ヤコブを絶滅に、イスラエルを汚辱にまかせた。

聖書箇所    ペトロの手紙一 2章 22-25節 

22「この方は、罪を犯したことがなく、/その口には偽りがなかった。」23ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。24そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。25あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。

説教   あなたの罪を思わない

四旬節を過ごしております。主イエスキリストのお受けになりました苦しみと十字架を偲びつつ、復活節の準備を私共はしております。今日は神様の独り子、イエスキリストが十字架におかかり下さったということ、そして私達の救いとなって下さったということについて、そこに含まれております深い意味合いのひとつを、イザヤ書の中から学びたいと思います。25節を御覧ください、こう記されております。「わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さないことにする。」神は私達の罪を思い出さない、そう御言葉は記しています。罪の許しということについて語る御言葉のひとつであります。イエス・キリストの福音、すなわち教会の教えでありますけれども、その核心は、この罪の許し、と呼ばれる神様の救いにあります。その深さと広さは、計り知ることができませんが、先ほど申しましたように、今日はこのイザヤ書の言葉に耳を傾けて罪の許しの福音、その恵みの一端に触れて、共に神様を賛美したいと思います。

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