2015年4月26日 復活節第4主日礼拝

聖書箇所    使徒言行録2章40-47節

説教  教会の祈りと伝道

まだ、ペンテコステには少し早いのですが、今日はこの後で教会総会がありますし、また祈りの教会ということを提案させて頂いておりますので、使徒言行録2章を読んで頂きました。最初の教会の様子が伝えられております。心を留めたいと思います。五旬節(ごじゅんせつ)と呼ばれるペンテコステの日であります。主イエスが約束しておられたようにエルサレムに集っていた弟子たちの上に聖霊が下りました。余計なことかも知れませんが、使徒言行録は英語では「Act(アクト)」と言います。弟子たちの行い、働きという意味です。しかし、この書名はもともと掲げられていたものではございませんで、後の時代に名付けられたものであります。

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2015年4月12日 復活節第2主日礼拝

聖書箇所    マルコによる福音書6章30-44節 

 

説教   5つのパンと2匹の魚

今、読んでいただいた聖書の物語は「5000人の給食」あるいは「5000人の供食」と呼ばれています。5つのパンと2匹の魚が主イエスの手によって裂かれ、弟子たちの手に渡され、そして配られた。するとそのわずかなパンと魚が5000人もの人々を養い皆が食べて満ち足りるだけではなくて、残りのものを集めると12のかごがいっぱいになる程であったというのであります。この不思議な物語は、旧約聖書の故事を思い起こさせます。

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2015年3月15日 四旬節第4主日礼拝

聖書箇所    イザヤ書43章 16-28節 

16主はこう言われる。
海の中に道を通し恐るべき水の中に通路を開かれた方
17戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し
彼らを倒して再び立つことを許さず
灯心のように消え去らせた方。
18初めからのことを思い出すな。
昔のことを思いめぐらすな。
19見よ、新しいことをわたしは行う。
今や、それは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか。
わたしは荒れ野に道を敷き
砂漠に大河を流れさせる。
20野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。
荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ
わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。
21わたしはこの民をわたしのために造った。
彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。
22しかし、ヤコブよ、あなたはわたしを呼ばず
イスラエルよ、あなたはわたしを重荷とした。
23あなたは羊をわたしへの焼き尽くす献げ物とせず
いけにえをもってわたしを敬おうとしなかった。
わたしは穀物の献げ物のために
あなたを苦しめたことはない。
乳香のために重荷を負わせたこともない。
24あなたは香水萱をわたしのために買おうと
銀を量ることもせず
いけにえの脂肪をもって
わたしを飽き足らせようともしなかった。
むしろ、あなたの罪のためにわたしを苦しめ
あなたの悪のために、わたしに重荷を負わせた。
25わたし、このわたしは、わたし自身のために
あなたの背きの罪をぬぐい
あなたの罪を思い出さないことにする。
26わたしに思い出させるならば
共に裁きに臨まなければならない。
申し立てて、自分の正しさを立証してみよ。
27あなたの始祖は罪を犯し
あなたを導く者らもわたしに背いた。
28それゆえ、わたしは聖所の司らを汚し
ヤコブを絶滅に、イスラエルを汚辱にまかせた。

聖書箇所    ペトロの手紙一 2章 22-25節 

22「この方は、罪を犯したことがなく、/その口には偽りがなかった。」23ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。24そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。25あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。

説教   あなたの罪を思わない

四旬節を過ごしております。主イエスキリストのお受けになりました苦しみと十字架を偲びつつ、復活節の準備を私共はしております。今日は神様の独り子、イエスキリストが十字架におかかり下さったということ、そして私達の救いとなって下さったということについて、そこに含まれております深い意味合いのひとつを、イザヤ書の中から学びたいと思います。25節を御覧ください、こう記されております。「わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さないことにする。」神は私達の罪を思い出さない、そう御言葉は記しています。罪の許しということについて語る御言葉のひとつであります。イエス・キリストの福音、すなわち教会の教えでありますけれども、その核心は、この罪の許し、と呼ばれる神様の救いにあります。その深さと広さは、計り知ることができませんが、先ほど申しましたように、今日はこのイザヤ書の言葉に耳を傾けて罪の許しの福音、その恵みの一端に触れて、共に神様を賛美したいと思います。

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2015年3月8日 四旬節第3主日礼拝

聖書箇所    マルコによる福音書 6章 6b-13節 

6bそれからイエスは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。7また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、8また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、9ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように命じられた。10そして彼らに言われた、「どこへ行っても、家にはいったなら、その土地を去るまでは、そこにとどまっていなさい。11また、あなたがたを迎えず、あなたがたの話を聞きもしない所があったなら、そこから出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足の裏のちりを払い落しなさい」。12そこで、彼らは出て行って、悔改めを宣べ伝え、13多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした。

説教   一本の杖

主イエスキリストは付近の村を歩いてお教えになりました。そして十二人の弟子たちを呼び寄せて、二人づつ組にしてお遣わしになったと記されています。今日はここに記されていることを少しご説明させて頂きまして、その後で主イエスキリストが弟子たちにお求めに成った旅の姿、そのことに心を留めてお話をさせて頂きたいと思っております。主イエスキリストは、弟子たちに、ご自分のお働きに仕えるようにお遣わしになります。弟子たちにそのおいだみになったのであります。汚れた霊に対する権能を授けると記されているのがその意味であります。まあ、言うなれば主エスの名代として、代理者としてお遣わしになりました。

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2015年3月1日 四旬節第2主日礼拝

聖書箇所    マルコによる福音書 6章 1-6a節 

1イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。2そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。3この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。4イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。5そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。6aそして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。

説教   驚き

今日読んでいただいた聖書の箇所は、何か高いところから低いところへと、突き落とされるような話ではないかと思います。十二年間も病に苦しんでいた女性が癒やされて、主の御手のうちに歩むようになる、その信仰に心が留まりました。会堂長の家では人々は泣き悲しんでいましたが、十二歳の少女が生き返る、主がこれをなさって人々は神様を畏れ賛美しました。ところが、今日の物語は一転して、信じることのできないナザレの村の人々のことが記され、何もすることができなかった主イエスのお姿を見るのであります。

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