2015年2月22日 四旬節第1主日礼拝

聖書箇所    マルコによる福音書 5章 35-43節 

35イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」36イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。38一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、39家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。41そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。42少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。43イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

説教   無力の中で

マルコによる福音書5章35節をご覧頂きますと、「イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。『お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。』と言った。」そう書かれています。一人の女性が主の御衣に触れて癒やされ、主のお言葉の前に導き出されて、そのあたり一帯が喜びに包まれた時、その後、幸いに水が差されるように会堂長の家から人々が来て、娘の死が告げられました。一人の女性の救いと一人の女性の死とが交差します。人生は楽しい時と苦しい時が、また、命と死とが、互いに隣り合い、結び合わされています。ここにはまさにそのような人生の模様が描かれています。しかし不思議なことに娘の死を知らされた会堂長の心の動きを聖書は少しも追いかけていません。何も書かれなくてもその悲しみや落胆を誰でも理解できるからでありましょう。主イエスの言葉だけが伝えられます。「恐れることはない。ただ信じなさい」、恐れることはない、とは神がおられその御手が置かれているという意味です。ただ信じなさい、と言われて主イエス・キリストは神の御手からすべてを受け取る信仰と信頼に生きるようにと言われたのであります。椎名 麟三(しいな りんぞう、1911年10月1日 – 1973年3月28日)というプロテスタントの信仰を持った作家がおられます。今日は少し話があちこちと脱線いたしますけれども、お許し頂きたいと思います。椎名麟三という名前を聞きますと懐かしいと思われる方がおられるのではないかと思います。この方の小説を読んで知っているのは、まあ、しかし、せいぜい私の年令ぐらいまででありましょう。第二次世界大戦が終わって、まだそれほど時が経っていない時代に活躍した方であります。すこし難しい小説をお書きになりましたけれども、人々がややもすると虚無的になって生きることの土台を見失う、そういう世相の時代に小説家として活動を始められました。「邂逅(かいごう)」、出会いという意味でありますけれども、「自由の彼方で」、「重き流れのなかに」、「永遠なる序章」、そのような作品が代表作であります。この方は戦前、共産主義に傾倒致しまして、青年らしい理想主義に身を投じました。しかし、挫折を経験致します。戦後、今度は反対に虚無的な思いに支配される、そうしているうちにロシアの文豪、ドストエフスキーの作品を読むようになり、次第に聖書にも触れるようになりました。東京の渋谷区に上原教会という教会がありますが、そこで赤磐栄(1903年4月6日 – 1966年11月28日)という牧師から洗礼を受けてキリスト者となりました。赤磐栄という方、このも有名な方です。何故有名かと申しますと、椎名麟三さんとは反対に牧師から共産党員になって、ついにキリスト教を離れたという人だからであります。一方は共産党員からキリスト者へ、他方は牧師から共産党員へ、洗礼を授けた人と、洗礼を授けられた人、このふたりの人の人生は対照的であります。そして上原教会という交わりの中で、二人の人生が交差したわけであります。椎名麟三さんは「わたしの聖書物語」という小さな書物をお書きになって、自分がどのような経過を経て聖書を読むようになったか、そしてどのようなことが手がかりになって、信仰を持つに至ったかを書き残しておられます。小さい書物です、読みやすいものでありますが、その中で椎名さんは、自分は主イエスキリストの復活を描く聖書の物語に捉えられたと言っておられます。聖書を読み始めて、聖書を読み進んで行くわけでありますけれども、どうも一向にピンと来ない、それどころか、反発を覚え、そう感じながらも聖書を読み続けたのです。そしてイエスキリストの復活の記事を読むに至って、椎名さんは、その心が捉えられたと言うのであります。珍しい方だと思います。ふつうは、イエス様の御教えであるとか、十字架ということのほうが、受け止めやすくて復活となりますと困難を感じるという人が多いのではないかと思います。ところが椎名さんは全く反対でありまして復活の物語が信仰の入り口になったというのであります。十字架で死んだはずのイエスという方がよみがえって弟子たちと一緒に食事をなさる姿がそこに描かれていたと。魚を食べたりパンを食べたり、椎名さんの言葉では、むしゃむしゃ、ぱくぱくと食べている、それを読んで愕然としたというのであります。その時まで、椎名さんは死というものが最終的で絶対的なものだと思っていた、死を深く恐れていた、どうしてもそこからしか人生を考えられなかった、それで、生きることと地上のことにどこまでも執着するか、あるいは生きることや地上のことを冷淡に軽視して虚無に陥るか、そのどちらかだったと言うのです。しかし、聖書には死んだはずのイエス様がパンをぱくぱくと食べたり、魚をむしゃむしゃと食べている姿が書かれている、誠に滑稽な姿だけれどもそこになにか自由を感じ取ったというのです。死は決して最終的なものではない、死もまた、限られた地上のひとつの権利に過ぎない、人生はそれとは違ったところから、受け取りなおすべきなのではないか、そう思うようになったと言うのであります。イエス様は、ヤイロという一人の会堂長に対して、恐れることはない、ただ信じなさい、とお語りになりました。神の御手がおかれている、だから神を信じ信頼してその御手からすべてを受け取るように、信仰に生きるようにと仰せになったのであります。ペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネの他は誰もついてくることをお許しにならなかったと書かれています。人々に知られないようにとの配慮からでありましょう。イエス様は決して見世物のように不思議な技をなさるお方ではありませんでした。一人のひとの霊(たましい)、その人生に心を止めておられるのであります。一行が会堂長の家につくと、人々が大声で泣きわめいて騒いでいる、「泣き女」と呼ばれる人々のことであります。悲しみの中にある人々に寄り添ったのであります。嘆き悲しんだ、その当時の習慣であります。それは少女の死が動かしがたい周知の事実となっていたということを記しています。しかしながら主イエスキリストは、家の中に入る人々に、「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」と仰せになったのであります。ここで主イエスキリストは少女の死を、眠りと表現されたのであります。眠り、それは少女がただ仮死状態になって、イエス様がいち早くそれに気づいて、死んだのではないと、そうおっしゃったというのではありません。少女は死んだのであります。しかし、その死をイエス様は、眠りと言い表されたのであります。眠りというのは目覚めを待っている状態であります。それがどんなに長いことであったとしても、限られた期間のこと、死は限られた権利を行使するに過ぎない、死は決して永遠ではない、そう仰せになるのであります。人々は主のお言葉をあざ笑ったと書かれています。人間の笑いには何十種類もの種類があるそうであります。そういうことを聞いたことがあります。ここで人々が示した笑い「あざ笑った」と書かれたいますが、それは軽蔑する笑いでありしょうか、あるいは少女の死という現実を前にして、あきらめ打ちのめされたから笑う、心の冷えきった笑いでありましょうか。そうかも知れません。大江健三郎さんの小説に「叫び声」という作品があります。その中で、殺人を犯した一人の男と、もう一人のある青年との対話が綴られています。何故かその青年は一人称で登場するのであります。殺人を犯した男は、俺は今、牧師と会っているんだ、ほとんど毎日ね、と薄笑いを浮かべながら言います。何故、牧師とあっているのかというと、俺は神の不在を確かめるために牧師に会っているんだよ、牧師が神についてものすごく宣伝するのを聞いていて、どこかに神の不在を嗅ぎつけたいと思っているんだ。神様、神様と言っている人間の背後に神の不在を確かめられるのではないかと、この男は考えたというのであります。そしてそれでは何故、神の不在を確かめたいのか、こうも申します、もし、神が存在するなら、無限期間、人殺しということで嫌な夢をいつも見なければならない。この殺人犯はこの後、進んで死刑になります。この男にとって死は救いになると思った、死が最後であれば、この男の人生に介入する何者もいない、ということになるのであります。ヤイロの家にいた人たちのあざ笑い、それは、死に慰めと救いを見出そうとする人間の恐れを知らない、しかも冷え冷えとした笑いであったのかも知れません。そして死を前にして、自分の人生は自分のものだとうそぶく傲慢がそこに潜んでいます。イエスキリストは皆を外に出し、両親と三人の弟子たちだけを連れて、子供のいるところに入って行かれました。手をとって「タリタ・クム」と言われました。起きなさい、という意味です。少女はすぐに起き上がって歩き出した、と書かれています。「タリタ・クム」、以前の口語訳聖書は「タリタ・クミ」となっていまして、その方が、皆さん、親しんでおられるかと思います。これはイエス様が日常話しておられたアラム語という言葉であります。主の口からでたことば、それが「タリタ・クム」であります。聖書はそのままに書きとどめて、大変大事な言葉として、これを伝えています。タリタ・クム、起きなさい、少女よ、私はあなたに言う、起きなさい。死に慰めと救いとを求める以外に、生きる術(すべ)を知らない人間を、ご自身の御手の中に受け入れ、新しい命をお与えになります。新しい命をお与えになる方が、タリタ・クム、起きなさい、と言われたのでありました。彼女の上に神様の御手が置かれました。その御手からすべてを受け取ることができる、その信仰と信頼に生きるように、そう仰せになりました。少女はすぐに起き上がって歩き出したのであります。人々は驚き、我を忘れるほどであった。そしていつものように、主はこのことを誰にも知らせないようにと厳しくお命じになって最後に、食べ物を少女に与えるようにと言われた、と記されています。椎名麟三さんは復活の主が食事をされたという聖書の記事を読んで、滑稽に思ってしかし自由を感じ取ったということを紹介させて頂きましたが、ここでは死んだはずの少女が起き上がったと思ったらすぐにイエス様が食べ物を与えるようにとお命じになって食べ物が与えられたというのであります。これもなんだか、おもしろいことであります。死んだ人が生き返ったと思ったらすぐにむしゃむしゃ、ぱくぱくと食べ始めるのであります。でここには大切なことが記されているように思います。主は少女の上に御手を置かれ、少女は主のお言葉、主の御手から、生きること、死ぬこと、食べること、働くこと、喜びも悲しみも受け取る、そのような命に日々生きるようになった、聖書はそのことをさり気なく、この言葉をもって示しているのだと思います。

死の偶像化、という言葉があります。死の偶像化というのは死を神としてしまうこと、という意味であります。ディートリッヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer, 1906年2月4日 – 1945年4月9日)という神学者の言葉です。ご存知だと思いますが、この方は第二次世界大戦の終わろうとする時に、獄中で殉教した人であります。召される少し前に死の偶像化という言葉で、少し文章を残されたのであります。悲しいことだけど、人は死を拝んでいる。周囲で自分の境遇や、自分が死へ向かわなければならないということに気が付き、そして人々が気が付き、そして人々が自分のことを思って悲しんだのでありましょう。悲しいことだけれども、人は死を拝んでいる、死を拝んでいる人は自分を振り返ってみたらいい、そこでは自分の人生は自分のものだという傲慢が支配してはいないだろうか。また死が最後のものであるなら、地上の命は一切か無か、そのどちらかということになるだろう。地上の事に永遠という冠を与える傲慢に陥っていないか、あるいはその反対に生命に対して軽率なものとなっていないか、また、生命を冷ややかに軽んじていながら、それだからこそ発作的に命を肯定しているのではないか、悲しいことではないかと問うのです。そして、次のような言葉を残しておられるのであります。死の力が破られていることが認められており、復活と新しい命の奇跡が死の世界の只中で光輝いているところでは人は人生が永遠であることは要求しはしない、そうではなくて、永遠が与えるものを人生に汲み取るのだ、すべてかあるいは無か、というのではなく、良いものと悪いもの、重要なものと重要でないもの、喜びと悲しみとを受け取ればいい。そして決して発作的に生命にしがみついたり、また軽率に命を投げ捨てたりはしない。適当な時間に満足し、地上のものに永遠の名を与えず、死がなお所有している限られた権利を死に与えるけれども、新しい人間と新しい生活を死のかなたから、すなわち、死に打ち勝った方から、ただそのお方から期待するのだ。死の偶像化ということを言い残して殉教していかれた方の言葉であります。主イエス・キリストは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」、「タリタ・クム」と言われました。お祈りを捧げます。

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