復活節第七主日

教会の香り

聖書箇所:コリントの信徒への手紙二2章1-11節

1 そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。2もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。3あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。4わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。5悲しみの原因となった人がいれば、その人はわたしを悲しませたのではなく、大げさな表現は控えますが、あなたがたすべてをある程度悲しませたのです。6その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。7むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。8そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。9わたしが前に手紙を書いたのも、あなたがたが万事について従順であるかどうかを試すためでした。10あなたがたが何かのことで赦す相手は、わたしも赦します。わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです。11わたしたちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。

説教要約:

(説教全文をここでご覧になれます)

コリントの信徒への手紙二2章1節から11節までを、読んでいただきました。ここには、私たちが聖餐にあずかるに際して、心に留めるべき大切なことが記されています。キリストにある赦しに、深く結ばれていくということです。

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復活節第六主日

プレリュード

聖書箇所:マルコによる福音書1章1-11 節

1神の子イエス・キリストの福音の初め。2預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。3荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」9そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。10水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。11すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

説教要約

 マルコ福音書は冒頭部で洗礼者ヨハネのことを書き記しています。
7、8節をごらんください。こう記されています。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼(バプテスマ)を授けたが、その方は聖霊で洗礼(バプテスマ)をお授けになる。」

 ヨハネという人は、イエス・キリストがおいでになる、その前奏曲、プレリュードの役割をはたした人物ですが、ここでは、自分のことを語っています。自分自身のことを語ってキリストを指し示しています。

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復活節第五主日

道を備えよ

聖書箇所:マルコによる福音書1章1-8節

1神の子イエス・キリストの福音の初め。2預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。3荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

関連聖書箇所:

旧約聖書 出エジプト記23章20-21章
20見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる。21あなたは彼に心を留め、その声に聞き従い、彼に逆らってはならない。彼はあなたたちの背きを赦さないであろう。彼はわたしの名を帯びているからである。

旧約聖書 マラキ書3章1節
1見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。

旧約聖書 イザヤ書40章3節
3呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

新約聖書 ルカによる福音書15章11節以下

 

説教要約:

(説教全文をここでご覧になれます)

「神の子イエス・キリストの福音の初め。」と記して、マルコによる福音書は、すぐに、旧約聖書の言葉を伝え、洗礼者ヨハネのことを紹介しています。

旧約聖書の言葉は預言者イザヤのものとされていますが、実際は、上記の関連聖書箇所が綴り合わされたものです。イエスさまの時代にこのように旧約聖書の大切な言葉が綴られ、集められて、来るべき方、来るべき救いについて示す言葉集ができていたようなのです。それは、ただイザヤの書というだけではなくて旧約聖書全体が語りかけていること、いわばその要約のような言葉として受けとめられていたということです。

マルコ福音書はこれを伝えて、そのことがここに実現する。今、ここに成就するという喜びを告げています。

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復活節第四主日

初めとしての福音

聖書箇所:マルコによる福音書1章1-8節

1神の子イエス・キリストの福音の初め。2預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。3荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

説教要約

キリストのご生涯は決して長いものではありませんでした。人の目から見れば、幸せよりも、悲しみのほうが多かったように思われます。そして、その最後は、十字架におかかりになって死なれる、という有り様でした。
十字架は最も重い犯罪を犯した者が罰せられるところです。キリストは罪がありませんでしたが十字架につけられました。これ以上不条理なことはありません。
おかしなことで,こんなむごいことがあるのかと思います。しかし、これがこの世です。

キリストは、その時、この世を恨みも、憎みもしませんでした。執り成してくださったのでした。十字架がその執り成しでありました。天の父なる神にご自身を献げて、私たちの贖いとなってくださったのであります。
福音書は、主イエス・キリストのご生涯を綴っています。マルコによる福音書は、ことにその最後のおよそ3年間のことを伝えています。一般に「公生涯」と呼んでいますが、主イエスがガリラヤの村や町々で神の国の福音を宣べ伝え始められて、弟子達を集め、教え、人々を癒される、そして、エルサレムに向かい、ついに十字架におかかりになる、また、お甦りになるのですが、その間の数年間のことを「公生涯」と呼んでおり、マルコ福音書はその公生涯について記します。しかも、そのうちの3分の1を十字架におかかりになるエルサレムでの最後の一週間の出来事に費やしています。

今日は1節「神の子イエス・キリストの福音の初め」と記されるこの御言葉に心を留めたいと思います。

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復活節第三主日

復活の主との食事

聖書箇所:ヨハネによる福音書21章1−14節

1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。 12 イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

説教要約:

(説教全文をここでご覧になれます)

ティベリアス湖、すなわちガリラヤ湖の湖畔で、復活の主が弟子たちと共に食卓を囲んだとということが記されています。そして、ここには、主の食卓、聖餐式の意味の一端が重ねて記憶されています。その食卓は、主イエスによって用意されました。すでに準備が整えられていました。けれども、主は、その食卓に弟子たちが捕ってきた魚を加えるようにと、言われたのでした。主イエスによって備えられた食卓の恵みに、弟子たちの奉仕の果実も加えられています。
無くてならぬものを、主ご自身が備えていてくださり、そこに、弟子たちの奉仕の果実が、喜びをもって加えられるのです。感謝に満ちた、喜ばしい食卓が主によってひらかれています。

網の中に集められた魚の数は153匹。一説によると、その数は、当時知られていた魚のすべての種類の数と言われます。すなわち、全種類の魚が、網の中に集められたのでした。これは、主の食卓の交わりに、世界中のすべての民が集められることになる。主が喜ばしい食卓にすべての民を招いてくださっている、ということを象徴的に示しているようです。

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